単声書簡

個人という灯台から

サンドリーヌ・ピオーに10の質問 10 Questions for Soprano Sandrine Piau

2014年のインタビュー記事より
10 Questions for Soprano Sandrine Piau | The Arts Desk

 

(※インタビュー以外の箇所は後日追記します)
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セバスチャン・スコットニー:リハーサルでは、ラモーの曲であなたから大きな力をもらいました。あなたが音楽を自分のものにして、本当に踊っているように見えました。ラモーはあなたにとって特別なものなのですか?

サンドリーヌ・ピオー:歌い手にとって、ラモーは登らなければならない山のようなものです。私たち歌い手はいつも、闘わなければならない。たぶん、私が動いていたのは声のテクニックがついていっていないからでしょう。私はラモーの音楽が大好きですが、歌は(4度の跳躍を歌ってみせながら)器楽的に書かれています。頭ではすばらしいとわかるけれど、身体にとってはつらい。まあ幸せですよ、何年もかけてラモーで声を壊せるっていうなら、あとシャルパンティエクープランでもね!

ヘンデルは?

ヘンデルとなると、とたんにすべてが簡単になります。どんなにラモーが好きな人でも、3曲歌ったら“もういい、おしまい”と言うでしょうね。でもヘンデルだったら12曲でも“よし、もう1回歌おう”となります。ヘンデルはディーヴァやカストラートのための作曲家でした。彼は声を知り、声を愛していた。ヘンデルの歌の特徴を表す言葉に、フランス語の“caresse(愛撫の意)”があります。時々は大変ですが、本当に声のために書かれているのです。
クリストフ・ルセを知ったのは―彼がウィリアム・クリスティ率いるレザール・フロリサンチェンバリストだった時―その時、私は初めてヘンデルに取り組んだのです。 ある評論家は、「ヘンデルで彼女(ピオー)は声楽家としての道/声を見つけた」(フランス語で"Elle a trouvé sa voie/voix".)と言いました。クリストフを通して、私はやっとフランスオペラ(音楽)から逃れられたのです。 ヘンデルモーツァルトは私の声に合っています。フランスの作品を歌うには、中声/低声が必要なのです。ヴェロニク・ジャンスのようなね。ヘンデルなら、私は高い音域とヴォカリーズ(メリスマ)、そして感情を聞かせることができる。〈ジューリオ・チェーザレ〉のクレオパトラは、私にとってベストレパートリーの一つです。フランスオペラを歌うことに、私はヘンデルを歌う時と同じ資質は持っていませんが、よりドラマティックな役がいいですね。単体で歌えば上手くできるんですが―〈レ・パラダン〉の “Je Vole Amour(わたしは飛んでいく、愛よ ※第2幕のアリア)”のような曲なら。

ウィリアム・クリスティは、あなたのキャリアにとって重要な存在ですね。

 

私がクリスティに会ったのは、パリのコンセルヴァトワールにいた時でした。私はハープを勉強していました。作曲家アラン・ルヴィエがコンセルヴァトワールの学長になった時、 私の世界はハープで、たくさんの現代音楽を演奏していました。ウィリアム・クリスティのクラス「古楽声楽曲の解釈 Interprétation de La Musique Vocale Ancienne」を受けた時、初めに彼は、私にこう言ったのです「もし君がハープを後ろに置いていけば(=辞めれば)、君は私の歌い手になれるよ」。その言葉が本当に嫌でしたね。真剣に4年間、ハープを弾いていたのですから。

でも、いつも合唱で歌っていたのですよね?

 

はい、私は10歳から12歳の時まで、フランス・ラジオ放送合唱団「メトリーズ」のメンバーでした。とてもすばらしい体験でした。コンセルヴァトワールにいた頃、フィリップ・ヘレヴェッヘの率いる合唱団で、お小遣い稼ぎに歌っていました―オーケストラにでも入らない限り、ハープで収入を得る方が難しいのです。その合唱も、またそこで人と一緒にいるのも良いものでした。ヘレヴェッヘは2つの合唱団を持っており、ひとつはコレギウム・ヴォカーレ・ゲント、もうひとつはよりモダンのスタイルで演奏するパリのシャペル・ロワイヤルです。私はどちらでもプロジェクトでご一緒しましたが、充実していました。私はヘレヴェッヘとバッハを歌いたいという夢があり、オーディションを受けました。フランスの伝統として、バッハの声楽曲は強い声で歌いません。それは私の求めていたことだったのです。しかし彼は私に「君の声はロマンチック過ぎる」と言いました。なので、私はメゾソプラノとして、ブルックナー、レーガー、メンデルスゾーンを、ヘレヴェッヘのもとで歌っていました。ある日彼は、私が他のどのソプラノ団員よりも高い音域が出ることを発見しました。そこで私はメゾからソプラノに転向したのです。それでもまだ彼とバッハを歌うことはできなかった。私がバッハを歌ったのはその後、ソリストとしてです。

 

ウィリアム・クリスティと凄い口論になったそうですが?

 

それはもう「Ksh!(ガツン!)」(両拳をかち合わせる仕草をして)〈ヴァージニア・ウルフなんか怖くない〉のテイラーとバートンみたいでしたよ。喧嘩になりましたが、私も若かったのです。ザルツブルクで一悶着あり、私はすぐに舞台を降りました。彼はとても(気難しくて、人を馬鹿にする)。でも私も同じことをしてしまった。事実、私はとっても素直な性格なんですよ―優しくしてくれればね。私はどんなこともできます。どんな音楽的な要求にも挑戦しますが、“please  お願いします”が必要なのです。“Thank you  ありがとう”が必要なのです。ときどき、人々はこのことを忘れますね。

そんなこともありましたが、今の彼は魅力的で、現在は良い関係でいます。私たちは7年一緒に仕事をしなかった、10年かもしれない。大きな決裂でした。その後、私はシャトレのプロダクションに従事しました。プロダクションのメンバーに指揮者は誰なのかと尋ねると、ウィリアム・クリスティだと答え、それで問題がないようでした。私はそのメンバーに、もう何年も経ったけど、私たちは大喧嘩しことがあると伝えました。それは“私の”問題でもあるし、“彼の”問題でもある、と言ってね。私が彼を“ビル”と呼べるようになったのは、10年後のことです。クリスティの人柄のことを言いましたが、私は彼とまた仕事ができることをとても幸せに思います。“どうしてそう思うのか”って?彼はすぐに元気になれる人なのです。彼は心の浮き沈みが激しいけれど、それは感情のままに生きているからであって、誰かを恨むこはしない。彼にとって自然なことではないからです。

 

そして、すべてのバロック音楽演奏家と、仕事をされるようになったのですね!

 

20年前は、大家族のようなものでした。ある指揮者の下で歌うとき、ほかの指揮者がそのコンサートにやってきて、“私も君と仕事をしているよ”とだけ言う。一度、クリストフ・ルセと、マレイユの小さな村で、名前を思い出せないのですがものすごい田舎でコンサートをしました。グスタフ・レオンハルトが、そのコンサートを聴くためだけに来てくださったのです。その後、彼のプロジェクトに携わりました。それは大きなオペラや、大きなレーベルとは違う、まさに家族でした。エージェンシーがいなくても、仲間の皆と一緒に仕事ができるようなものでした。

 

もうひとつの活動は、歌曲のリサイタルということですが?

 

スーザン・マノフと2つのレコーディングを終えましたが、彼女とはいつも一緒に仕事をしています。来年には、シューベルトとヴォルフに取り組む予定です。ベルクの〈6つの初期の歌〉を演奏したいという夢が、私たちにあります。私は一度ミュンヘンで、オーケストラ版で演奏しました。音域が低いのですが、ピアノとならば自分の表現したい音楽ができますよ。

私はシェーンベルクとベルクが大好きです。ルルに挑戦したいのですが怖いですね、私は強い声を充分に持っていないので。

 

オペラの役についてですが―今までのレパートリー、演じてみたい役、これからどのようにキャリアを積んでいきたいか教えていただけますか?

 

オペラの役を得ることに関して、私は運が良いのです。自分ができる以上の役柄を求められることはありません。〈放蕩児の遍歴〉(※ストラヴィンスキーのオペラ)のアン・トゥルーラブ以外は。でも誰が依頼するんでしょうね、“comme un vache  牛みたいな(笑)” 英語を話すフランスのバロック音楽の歌い手に?幸運なことに20年以上、私は自分の好きな方々と一緒に仕事をしていて、この役はできる、この役はできない、といったことを選べます。自由に仕事を選び、何をしても幸せなのは贅沢なことです。

次に携わるオペラプロジェクトにはわくわくしています。ブリュッセルのモネ劇場で、〈アルチーナ〉のタイトルロールで出演します。モルガナ役では、オペラ座で出演したことがあります。今回は、クリストフ・ルセ、ピエール・アウディとご一緒します。モネ劇場と館長のピーター・デ・カルウとは、真の信頼関係があります。そこで歌ったのは〈偽の女庭師〉サンドリーナ、〈魔笛〉のパミーナ、私にとって初めてのクレオパトラ、そして初めてのメリザンド…悪夢が起こり、私は公演初日に怪我をしたのです。筋肉が断裂し、退院するまで長い時間がかかりました。

アルチーナ〉の後は、〈真夏の夜の夢〉に出演します。ロベール・カルセンの演出で、エクス=アン=プロヴァンスにて上演します。これは私が人生で観たなかでも、最も美しいオペラプロダクションのひとつです。どれをとっても共感でき、魔法をかけたように魅力的なものです。

 

今はマルセイユの、エクスの近くにお住まいですよね?

 

私の夫がもともとスイス出身で、パリに住みたがらなかったのです。パリから離れる必要があっても、離れるのは大変なことですよ。2時間車を運転しなくてはならないんです…木しか見えないのに。夫はジュネーブ付近の山の中に住んでいました。なので二人で4年間そこに住みましたが、「無理」と言いましたよ、5月に雪が降るんですから。私たち夫婦で幸せになれる住まいを探しました。私は海の近くに住みたいと思っていました。マルセイユにするか?ニースにするか?マルセイユに決めました。今は長く住み続けています。パリへTGVが走っているし、泳げる海があるし、9月でも26度だし…

 

あなたは以前、歌い手にとって健康を保つのは一筋縄ではいかないと仰っていましたね。どうやって体調を整えていますか?

 

私は本当に運が良いのです。自分の知っている何人かの歌い手は、私より料理やお酒(アルコール)に気を遣っています。私は病気にもなりましたが、もともと強いのです。“souplesse  柔軟性”を保たなくては、と思っていますね。子どもの頃、私は自分に適切な体操をしていました。私はアクティブですし、私は水泳をします。そしてご覧の通り、いつも動いているでしょう。

 

食べるお話が出たところで、どの作曲家とディナーに行きたいですか?

 

ヘンデル、そう、ヘンデルとじゃないと。彼は指揮者であり、劇場を持っていて、責務を持っていて、実在した普通の人であると同時に、たくさんのことを成し遂げたすばらしい音楽の天才です。カストラートが仕事の取引で「私にアリアを1曲ください」と主張する。彼はみんなにとって素敵な人で、生涯の終わりまで自分の欲しいものを手に入れ、歌い手のためにすばらしいことをしてくれた。ヘンデルは、私が心から会いたい人です。