単声書簡

個人という灯台から

ラシーヌの讃歌 Cantique de Jean Racine

Cantique de Jean Racine


VERBE, égal au Très-Haut, notre unique espérance,
Jour éternel de la terre et des cieux,
De la paisible nuit nous rompons le silence:
Divin Sauveur, jette sur nous les yeux.

Répands sur nous le feu de ta grâce puissante;
Que tout l'enfer fuie au son de ta voix;
Dissipe le sommeil d'une âme languissante,
Qui la conduit à l'oubli de tes lois.

Ô Christ, Sois favorable à ce peuple fidèle,
Pour te bénir maintenant rassemblé;
Reçois les chants qu'il offre à ta gloire immortelle,
Et de tes dons qu'il retourne comblé.


〈訳詩〉

ラシーヌの讃歌


神のみことば あなたはいと高き 私たちの唯一の希望
天に住まう者と地上に生きる者の 永遠のいのち
平和な夜の静寂を 破ろうとする私たちに
救い主よ どうかそのまなざしを向けてください

正義に燃える恩寵の炎が 私たちに注がれ
あなたの声が 煉獄の者たちを解き放ちますように
むなしい魂を 眠りから目覚めさせてください
あなたのお導きを忘れて さまよう者の魂を

おお キリストよ 信じる者に慈しみをお与えください
あなたを讃美するため いま共にお祈りします
お受け取りください 神の不滅の栄光を讃えるこの歌を
あなたが賜る恵みの お返しとなりますように


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ジャン・ラシーヌ(Jean Racine, 1639-1699)はフランス古典主義を代表する劇作家。
ラシーヌの讃歌 Cantique de Jean Racine〉は、元々は聖務日課の朝課で用いられるラテン語のお祈りの言葉〈御父の光である方 Consors paterni luminis〉を、このジャン・ラシーヌがフランス語に意訳したものである。

ちなみに拙訳もかなり意訳の箇所があり、例えばverbeは"言葉"だが、Verbeと語頭が大文字になった際は"神のみことば"の意であり、新約聖書ヨハネによる福音書において、言(ことば)が神であり、また命であると証されていることから(「みことばの神性」という言い方がある)、
"jour"で辞書を引いても"いのち"の意味はないのだが、Verbeの持つ意味合いからそのように訳している(よってこの訳だけを参考になさらないでいただきたい)。

ヨハ1:1-4
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。


さてこの作品のタイトル、日本語では、ラシーヌ讃歌、ラシーヌの雅歌、等々さまざまに訳されるのだが、
ラシーヌ讃歌」だとラシーヌを讃美した歌ではないので意味が違ってしまうし、
ラシーヌ雅歌」...雅歌というとどうしても、あの旧約聖書のエロ本みたいな(失礼!)箇所を思い出してしまう。


ガブリエル・フォーレ(Gabriel Fauré)が1865年に作曲。
彼が20歳の時の作品だが、のちの〈レクイエム〉にみられる優美さの片鱗が、既に音楽の色ににじみ出ているような。フォーレにとって恩寵 grâceとは、生涯を通して優しい、聖母の腕のような慈しみのことだったのだろうか。


Cantique de Jean Racine - Notre Dame de Paris - 08/02/2015

というわけでNotre Dame(=our lady=聖母マリア)de Parisで、聖体拝領の際に歌われている動画を。
(余談だが「何か音低くね?」と思うのは正解で、オルガンは気温が低いと音が低くなる。2月のようだし、会衆の厚着具合から見るに、聖堂内は寒い)

やはりこの曲はコンサートで歌われることがとても多いのだが、こうしてミサに用いられるとき、このテキストに表される、賜物へのお返しとして捧げる歌、天と地との交わりとしての音楽であると再発見させられる。